





日本心臓血管外科学会U-40は2014年2月に日本心臓血管外科学会主導で発足しました。「患者」「メディカルスタッフ」「心臓血管外科医」の3つの笑顔の実現に貢献することを理念としており、日本心臓血管外科学会はU-40を通じて、若手会員の意見集約、若手同士の交流を促進し、知識・技術の獲得の機会を提供しています。今回はそんな「日本心臓血管外科学会U-40の未来を考える」をテーマに座談会を行いました。発足してからU-40が築き上げたつながりやメリット、またU-40から心臓血管外科学会への意見の発信などに焦点を当てることで、U-40の未来の姿が見えてきました。
本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。本日は「定期講座研修修了会」に合わせ、心臓血管外科の将来、特に2030年に向けたビジョンについて語り合いたいと思います。小野理事長、まずは本日の座談会に寄せる期待をお聞かせください。
こうした座談会は学会員だけでなく、これからこの道を志す若い学生や研修医、そして他職種の方々も読む可能性があります。ですから、あまり堅苦しく体面ばかりを繕った内容ではなく、現場の「本音」を出していければと思います。私が理事長として発言すると、どうしてもその言葉が一人歩きする懸念もありますが、今日は「実は現場はこうなっているんだ」「2030年に向かってこれだけは変えないといけない」という、熱量のある議論を期待しています。
ありがとうございます。今日はあえて、特定の提言にまとめることを目的とせず、今の私たちが抱える課題をすべてテーブルに乗せるつもりで進めたいと思います。

最初のテーマは「地域の格差と若手のリクルート」です。内田理事が進めているアンケートの中間結果でも、地方大学への入局者が減少している動向が浮き彫りになりつつあります。柴崎先生、民間病院に移られて感じる現場の実情はいかがでしょうか。
非常に切実だと思います。大学病院であれば、研修医がそのまま入局する流れが、まだ一定数は維持されています。一方で、地方、特に名前が広く知られていない民間病院には、若手がなかなか入ってこないのが現状です。 実際に若手が集まっているのは、「症例数が多い」ことに加えて、SNSなどでの情報発信が強く、いわゆる“ブランド”が確立している一部の施設です。そうした施設には全国から若手が集まりやすいと感じます。 逆に、そうでない地方の拠点では、いくら熱心に指導体制を整えても、そもそも若手の視野に入りにくく、「門を叩いてもらう」段階にすら届かないことがあります。そこが今の難しさだと思います。
学会の会員数自体は、男性で約4,200名、女性も300名を超えて微増していますが、その実態を精査すると都市部への一極集中が加速しています。消化器外科でさえ集約化が議論される中、心臓血管外科の医師不足と偏在は、もはや「待ったなし」の段階に来ています。特に地方では、一人のドクターが欠けるだけでその地域の救急体制が崩壊しかねない危うさがあります。
若手の立場から言えば、必ずしも「都会がすべて」だと思っているわけではないんです。私たちの世代が重視するのは、住む場所の便利さ以上に「自分のキャリアプランが具体的に見えるか」です。ホームページ等で「ここに来れば1年目からこれを執刀させてもらえる」「3年でこれだけの症例を主治医として経験できる」という具体的なマインドセットと実績の発信をしている施設に、若手は非常に敏感に反応します。 私たちは現在、全国7支部で「BLC(Basic Lecture Course)」を開催し、地方の若手と地域の教授陣を繋ぐ活動をしていますが、そこで感じるのは、若手は「顔の見える信頼関係」に飢えているということです。単なる制度上の研修先としてではなく、実際に教授から直接手術の手技を教わったり、将来のキャリアについて夜通し語り合えるような機会があるだけで、リクルートの結果は劇的に変わるはずです。
「大学に対してメリットを感じられない」という若手の声は、我々大学の人間は真摯に受け止めなければなりません。専門医認定機構でもトレーニングプログラムの目安を出していますが、それが実態として現場でどこまで実行されているかを検証するのは容易ではありません。結局「広報が上手い、見せ方のうまい施設」が総取りしてしまう側面がある。 大事なのは「ロールモデル」を複数提示することです。大学病院の教授という遠い存在だけでなく、関連病院で若くして副部長になり、年間100例を執刀してバリバリ活躍しているような、5年後10年後の自分を投影できる先輩の姿を具体的に見せてあげる。そういう「生き生きと働く背中」こそが、いかなるパンフレットや制度説明よりも強い説得力を持ちます。

地方大学では、入学者の3割から4割が「地域枠」というケースも珍しくありません。しかし、彼らが心臓外科を目指そうとしたとき、義務年限が大きな壁になっています。大分大学でもそうですが、この「地域枠」の中から心臓外科医を育てるのは至難の業です。県との契約があるために、専門修練を積むべき時期に専門外の地域医療に従事せざるを得ない。
東大の医局にも地域枠出身の方が来ますが、都道府県によって運用の柔軟性が全く違います。外科としての専門性を高める修練を「地域医療の一環」として柔軟に認める県もあれば、契約の一字一句に拘泥して「戻ってこないと後々医師免許の停止を求める、あるいは不利益を被ることになる」と、役所の担当者が脅しに近い表現で呼び戻す県もあります。やる気のある若手が、行政の硬直したルールのために外科医として一番伸びるゴールデンエイジに「置いてけぼりを食っている」と感じてしまうのは、日本の医療界にとって極めて大きな損失です。 自治医大出身の先生が、地域医療の年限を終えた後に心臓外科に来て活躍する「遅咲き」の素晴らしい例もあります。しかし、同期がバリバリと弁置換や冠動脈バイパスを執刀している中で、自分だけが聴診器一つで地域を回っている状況に耐え志を維持し続けるのは、精神的にも相当な覚悟とタフさが求められます。
実際に栃木県でも、地域枠で心臓血管外科を志望している先生が、県の方針や運用によって、一定期間、心臓血管外科のない病院に派遣されてしまうことがあります。心臓血管外科を希望する先生にとっては、その期間が専門研修の面で“空白”になりかねず、非常にもったいないと感じます。 ですので、この点はぜひ、心臓血管外科学会が行政と対話を進めていただき、心臓血管外科のある病院での勤務が義務年限としてカウントされるよう、全国で一定の柔軟性を持ったガイドライン整備につなげてほしいと思います。

私は学生にいつも言っています「心臓外科こそ、究極の地域医療なんだ」と。1時間、あるいは数分以内に処置しなければ救えない急性大動脈解離や、ショック状態の重症患者を救えるのは、その地域に踏みとどまっている心臓外科医の存在があるからです。地域枠だからといって、専門性の高い心臓外科から遠ざけるのは論理矛盾です。むしろ「地域を守るためのスペシャリスト」として、行政と連携して育てていく、あるいは県が彼らの修練を全面的に支援するようなマインドセットの転換が必要です。
今回の専門医制度の更新基準変更は、地方にとって非常に大きな、そして深刻な衝撃です。これまでは「協力病院」でも一定の手術カウントができましたが、今後は認定された「基幹施設(修練施設)」以外での実績が認められにくくなります。これにより、若手が症例の集まるハイボリュームセンターにしかいられなくなり、地方の関連病院から若手の姿が完全に消えてしまうという懸念が出ています。
「集約化」という言葉は、質を担保する上では正論ですが、福島県のように広い地域では県内を一か所に集めるのではなく、浜通り・中通り・会津それぞれで心臓血管外科機能を集約し、地域ごとに中核拠点をつくる形が現実的だと考えています。 そのうえで、心臓血管外科医の人数が少ない施設には、拠点から計画的に人員を配置し、救急対応や周術期管理など地域に必要な機能が途切れない体制にしてほしいと思います。 また、若手も各エリアに一定数配置してもらわないと、ベテランだけが残って医師の高齢化が進み、数年後に地域の体制が持たなくなる懸念があります。さらに病院側も「自院の格」を守る意識から看板を下ろしにくく、その結果、症例は分散したまま若手の教育機会だけが減る、という最悪のシナリオが現実味を帯びています。
都市部と地方では、見えている景色が全く違いますね。都会では年間20〜30例しか行わないような施設が乱立しており、外科医が分散している「外科医の無駄遣い」とも言える状況があります。これは、トレーニングの質の観点からも早急に是正すべき「わがままな分散」です。 一方で、岩手や秋田のように既に拠点病院への集約化が進んでいる地域もあります。岩手県のとある病院などは年間500例以上をこなし、非常に質の高い医療を提供していますが、外科医の数は限られており現場は極めて激務です。都会の「無駄な分散」を抑制して集約化を促すルールが、皮肉にも地方で既に集約化されて頑張っている拠点に「さらなる負担」を強いることになってはいけない。地域ごとに実情を評価できる「エリアごとのガバナンス」を考える時期に来ているのかもしれません。
前半では地域格差や専門医制度の課題について深掘りしましたが、ここからは働き方改革の切り札とも言える「タスクシフト」について議論を移したいと思います。市川先生、2022年に発足した「特定行為研修修了者の会」の現状、そして現場で感じている手応えと課題を詳しく教えてください。
私たちの活動の原点は、執刀医が手術や外来で不在の際、病棟が「医師不在の空白地帯」になるのを防ぎ、患者さんにタイムリーな医療や看護を提供することにあります。しかし、実際には特定行為研修を受けて現場に戻った仲間たちから聞こえてくるのは、理想と現実のギャップです。 標準的な特定行為研修のカリキュラムには、診療科の臨床実習のような教育機会はなく、心臓血管外科という極めて専門性が高く、一刻を争うような領域の周術期管理に必ずしも最適化されていません。特定行為研修では、生理学や解剖学、そして様々な医療処置(特定行為)について学びますが、現場で本当に必要となるのは、一人ひとりの患者さんの病状・経過・治療方針を正確に理解すること、バイタルサインや身体所見から病状変化を適切に評価すること、そのわずかな変化から体調の変化を予測して対応すること、そして医師や多職種と協働するスキルです。「特定行為研修で学んだこと」と「現場で求められるスキル」の乖離は、特定行為研修修了者の自信を奪ってしまっている側面があるのではないかと考えています。

実際、研修の内容を覗いてみると「なぜ看護師にここまで?」と思うような難解な理論が並ぶ一方で、心臓外科特有の「阿吽の呼吸」で求められる判断基準は教えられません。この溝を埋めるために、学会レベルでの「心臓外科版・特定行為卒後教育プログラム」のようなものを作る時期に来ているのかもしれませんね。
さらに深刻なのが経済的な問題です。施設が特定行為研修の費用を全額負担してくれる幸福な例は少なく、中には数十万円の受講料を自腹で払い、休みを返上して研修に通っている看護師もいます。それだけの苦労をして研修を修了して現場に戻っても、医師のタスクシェア/タスクシフトのために日勤帯の業務が増え、夜勤手当が減ることで、結果的に年収が下がってしまうという逆転現象が起きています。これでは「志」だけで続けていくのは無理がありますね。
それは非常に切実な問題だと思います。医師を助けるためにスキルアップした結果、かえって生活が苦しくなるというのは、組織としてあってはならないことです。 ですので病院経営層には、「診療報酬上の評価」だけでなく、特定行為研修修了者がいることで医師が本来の業務、特に手術や重症管理に集中でき、結果として病院全体の症例数や医療の質が上がるという点も含めて、経営的なメリットとして正しく理解してもらう必要があると考えています。
タスクシフトで最も難しいのは、看護部の価値観と運用とのすれ違いです。看護部は「医師のため」ではなく、患者の安全とケアの質を最優先に判断します。そのため、特定の看護師に判断や権限が偏ることには慎重で、特定行為の拡大には強いガバナンスが働きやすいと感じます。さらに7対1配置基準の下では、長期研修で一人抜けるだけでも病棟運営が揺らぎ、意欲ある人材がいても送り出せないことがあります。だからこそ、責任範囲・教育・バックアップと配置の手当てをセットにし、患者利益として組織方針化する必要があります。医師側も働き方改革の都合ではなく、患者アウトカムで説明し、経営層と看護部を巻き込むことが重要です。
実は私も、大学病院で新しい体制を作ろうとした際、看護部長と文字通り「大喧嘩」をしたことがあります(笑)。最初は「タスクシフトなんて、結局は医師が楽をしたいだけでしょう。そのしわ寄せを看護師に押し付けないでほしい」という、一種の被害者意識に近い猛反発を受けました。 しかし、議論が平行線を辿る中で私は問い直しました。「部長、私たちがここで言い合っている間にも、病棟で術後の患者さんが苦しんでいるかもしれない。医師が外来や手術で手が離せない2時間、特定行為ができる看護師がいれば、その場で点滴を調整し、痛みを取り、救命できる確率が上がる。これは医師を楽にするための道具ではなく、看護師が患者さんを救うための『最強の武器』を手に入れることなんだ」と。 「患者さんの利益」という一点にフォーカスを絞ったとき、彼女たちの態度が変わりました。最終的には「それならば、看護部としても全力で支援する」と言ってくれました。藤田医科大学のように、診療科と看護部の中間に独自のセンターを作り、予算と人員を独立させるような「組織のハック」が必要です。
若手の立場からも、看護部との関係性は死活問題です。私たちはNPさんや特定行為看護師さんを「便利屋」として使うのではなく、彼らが専門性を発揮しやすい環境を整える「環境整備者」としてのマインドを持つべきですね。彼らが誇りを持って働ける現場を作ることこそが、結果として私たちの働き方改革に直結するのです。

今後の働き方やタスクシフトを考える上で、もう一つ避けて通れないのが技術革新の波です。極論を言えば、AIやロボット手術がさらに普及していけば、将来的には「医師はこれほど多く必要なくなるのではないか」という時代が来るのではないかと感じています 。内科領域では、AIを活用することによって、問診、身体診察、血液検査等の情報から、診断や治療方針を正確に提示してくれるようになるかもしれません。
確かに、診断に関する業務の大部分をAIが担うようになる未来は現実味がありますね。しかし、AIが進化しても、最終的に「手先を使う」というフィジカルな介入が必要な部分は、最後まで残る職種になるはずです 。なかでも心臓血管外科のような、高度な技術と瞬時の判断が求められる外科医の専門性はAI時代においてもその価値が守られる領域だと言えるでしょう。
現場ではすでに、手術支援ロボット「da Vinci Xi」などの導入が進んでいます。これまでの腹腔鏡手術と比較してもロボット手術には明確な利点があります。 具体的には3次元の高解像度画像やズーム機能による拡大視効果、そして手振れ防止機能が挙げられます。さらに、自由度の高い多関節鉗子のおかげで、従来の腹腔鏡では操作が困難だった部位に対してもより容易で確実な手技が可能になっています。
ロボット手術は、執刀医が「座って手術ができる」という点でも身体的負担を大きく軽減しますね。ただし、触覚の欠如を視覚で補う必要があるなど、執刀医の知識や技量に左右される側面も依然として大きい。だからこそ、ロボットという高度な道具を使いこなすための「教育」が重要になります。
教育という点では、デジタルコンテンツの活用も不可欠ですが課題もあります。あまりに完璧を目指しすぎて、論文をゼロから書くような気負った進め方をしていては現場のスピード感に追いつけません。
そうですね。動画等については学習教材として有用だと思いますが、情報の受け手側にとっては「15分」が集中力の限界だという現実もあります 。私もかつて教育動画を制作した際には、1本を5分程度に凝縮しないと活用されないことを痛感しました。
最初から完成された「論文」を目指すのではなく、まずは「アブストラクト(要約)」を書くような感覚で、簡潔に、かつスピーディーに形にしていくことが重要です 。ロボット手術においても、動画記録を教育に活かすなど、時代に即した効率的な技術活用こそが、結果として現場の負担を減らし、次世代への継承をスムーズにするのだと思います。
2030年に向けて、日本の心臓血管外科は「数」の時代を完全に終わらせ、「質」と「効率」の時代へと移行していなければなりません。今日議論に出た「集約化」は、避けては通れない苦渋の選択を含みますが、それは決して地方を切り捨てることではありません。 例えば、都会で乱立している低ボリュームセンターの機能を整理し、そこで余剰となったリソースや人員を、岩手や秋田、あるいは福島のような「地方の砦」を守るために戦略的に再配置する。あるいは、地方の若手が数ヶ月単位で都会のハイボリュームセンターへ武者修行に行き、最新の技術を学んでまた地域に戻るという、柔軟な「広域専門医修練ネットワーク」を学会が主導して構築すべきです。一つの医局、一つの大学の垣根を超えた「日本全体での外科医の適正配置」を考える時期です。
2030年には、地域枠の制約さえも「その地域を背負って立つスペシャリストとしての特権」と捉えられるような、ポジティブなキャリアパスが確立されていることを願います。若手が「どこで働いても、自分は心臓血管外科という大きなチームの一員なんだ」と思える仕組みが理想です。
予定の時間を大幅に過ぎ、非常に熱いそして重厚な議論が交わされました。最後に小野理事長から、未来の心臓血管外科を担う若者たちへ魂の込もったメッセージをお願いします。
時代がいかに変わろうとも、心臓血管外科の本質は1ミリも揺らぎません。それは、人間の命の源である心臓に直接手を触れ、己の技術と、研ぎ澄まされた判断、そして折れない心で、絶体絶命の患者を死の淵から引き戻すという、極めて厳格で、かつこの上なく崇高な営みです。 AIやロボット、そして今日議論したチーム医療。これらはすべて強力な武器ですが、最後の最後で「私がこの患者の命を背負う」と決断し、責任を引き受けるのは、現場で血を浴びて闘う我々外科医自身です。 2030年、多職種が支え合う最強のチーム医療という盾を手に入れた皆さんが、今よりももっと生き生きと自信と誇りに満ち溢れて手術室に向かえる未来を、私たちは今、この瞬間も全力で作っています。心臓血管外科という道は険しい。しかし、これほどまでに報われる仕事は他にありません。どうか、恐れずに、安心してこの門を叩いてください。私たちは、皆さんの挑戦を心から待っています。
小野理事長、そしてパネリストの皆様、本日は本当にありがとうございました。今日ここで語られた「本音」が、2030年の素晴らしい未来へと繋がる一歩になると確信しています。

日時:令和元年11月1日
場所:京都国際会議場